FC2ブログ
心の命ずるままに
人の幸せ
2010-09-30 Thu 20:54
人の幸せ、大きなお世話・・・自分が幸せであることを心の中にしまっておけば
いいものを、人に吹聴しようものなら、嫉 ( ねた ) まれるもとになります。
本来、他人 ( ひと ) の幸せは喜ぶべきなのですが、そう簡単にはいかないの
が現実世界の悲しさです。

人間の六感情は、 「 喜 」 、 「 怒 」 、 「 哀 」 、 「 楽 」 、 「 愛 ( いとおしみ ) 」 、
「 憎 ( にくしみ ) 」 と言われています。 そして、長年生きていくと、これらが単純
に区別できないことを理解できるようになります。

例えば、 「 憎 」 は 「 愛 」 の裏に隠れていて、直ぐ入れ替わってしまいます。
そして、 「 喜 」 と 「 哀 」 、 「 怒 」 と 「 楽 」 も同じです。 このようなことを繰り
返し経験すると、いつの間にか人間不信になってしまうのですが、あなたは如何
ですか。

しかし、この人生をとことん突き詰めていくと、下の佐藤洋二郎氏の言葉の中にあ
る “ 弱いわたしたちがそこから救われる方法は、人間が持っているやさしさや、
おもやりの気持ちしかないはずだ ” という境地に辿り着くのではないでしょうか。

人の欠点も、長所と一緒に認めあって生きていくということなのですが、皆さんどの
ようにお考えですか? 

朝刊小説 「 グッバイ マイラブ 」 連載を前に ( 北海道新聞 )
                 ~ 佐藤洋二郎


最近、自分はなぜ小説を書くのかと、今更かんがえてもしかたがないことを、しきり
に思案する。 それは犬が、自分の尻尾を咬もうとする行動に似ていて、いつまで
かんがえても結論は出ず、諦めるしかないが、はたしてどんな人生がよかったのか
とおもう。

人間は生きている間が人間だから、つらいことや哀しいことがあっても生きるしか
ないが、因果な生き物だ。 それはほかの動物と違い、多様な感情を持っている
からだろう。

だがこの感情が曲者 ( くせもの ) で、季節のように移り変わる。 清々 ( すがす
が ) しい日もあれば、心が寒いときもある。 やまない雨のように、涙を流し続ける
夜だってあるはずだ。 突然吹く風を追うさざ波のように、不安感が走る場合だって
ある。

生きていればいいこともあると信じるしかないが、幸福なんて、夏の夜空を走る流れ
星みたいなものではないか。 たまにいいことがあるから、その光芒 ( こうぼう )
を瞼 ( まぶた ) の裏側に焼き付けて、またいいことがありますようにと祈って生きる。
それには少しでも前向きに生きるしかないだろう。

・・・・・・・・

そしてこの世が思い通りにならない苦界であれば、弱いわたしたちがそこから救われ
る方法は、人間が持っているやさしさや、おもやりの気持ちしかないはずだ。 
それを失ったときの心の重さが、哀しみになるのではないか。
スポンサーサイト



web拍手
別窓 | 日記 | コメント:2
流れ
2010-08-05 Thu 18:43
以前に 「 笹舟 」 という題で、私たちの人生は運命という川の流れに乗った笹舟だと
いうお話しをしましたが、分子生物学者の福岡伸一さんの 「 生物と無生物のあいだ 」
という本を読むと、私たちは常に変化する川の流れそのものだということ分かりました。
そして、このことについて福岡さんは下のように述べています。

よく私たちはしばしば知人と久闊 ( きゅうかつ ) を叙するとき、 「 お変わりありません
ね 」 などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベル
では我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。 かつてあなた
の一部であった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。


元々、体の半分から3分の2は水で、それ以外の成分も絶えず新しいものに置き換わっ
ていて、私たちの存在は不確定であやえふやなものなのです。
このことを難しく言うと、 「 動的平衡 」 と呼んでいて・・・・

つまり、福岡氏曰く “ 私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆる
い 「 淀み 」 でしかない。 しかも、それは高速で入れ替わっている。 この流れ自体が
「 生きている 」 ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収
支が合わなくなる
” ということのようです。

そして、死ぬということは、この流れが止まることです。 このように生きるという生命活
動は、とりとめのない儚 ( はかな ) いものなのですが、一方で私たちが考える人生と
いう川は、たとえは儚くても、かけがえのない貴重な流れなのです。

星野道夫さんの 「 旅をする木 」 の中には下のような言葉がありました。

・・・はただ在るがままの人生を生きてきた。 それは自分の生まれもった川の流れの中
で生きてゆくということなのだろうか。 ・・・はいつかこんなふうにも言っていたからだ。
「 誰だってはじめはそうやって生きてゆくんだと思う。 ただみんな、驚くほど早い年齢で
その流れを捨て、岸にたどり着こうとしてしまう 」

結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時
間である。
web拍手
別窓 | 日記 | コメント:0
愛犬の木彫り
2010-07-14 Wed 21:38
1007ベル

愛犬が逝ってしまったのが、先月の5日のことです。 今日で39日目になります。

1007ベル2

日に3回の散歩が無くなって時間的に余裕が出来ましたが、近所の様子を見て回る
ことも少なくなりました。 毛が付いてしまうので部屋着と外出着を別にしたり、ソファ
に座るとき気をつけることもなくなりました。 そして、長期の旅行が出来るようになっ
たし、皆で外出したとき、家にいる愛犬のことを心配する必要もなくなりました。

1007ベル3

しかし、あの抱きついたときの少し匂う柔らかな感触を感ずることが出来なくなって、
癒しをもらえなくなって、何よりあの元気な姿を見て、生きていることの素直な喜び
を感じることも出来なくなりました。

1007ベル4

忘れることによって、私たちは過去を引きずることなく生きていけます。
しかし、忘却は消えていくことではなくて、心の底に深く沈んでいくことです。

いま顔を横に向けると手の届くところに愛犬の骨壷があります。
そして、新入りの愛犬そっくりの小さな木彫りがあります。

1007ベル5

これは、妻の知り合いの方のご好意によって、プロの彫刻家の方 ( はしもとみお
に彫っていただいたものです。 姿形は言うに及ばず、漂ってくる雰囲気もそっくりな
ので驚きました。

守り神が一つ増えて、これからも私たち家族の側に居てもらうことにしました。
web拍手
別窓 | 日記 | コメント:0
「 つくば 」 にて
2010-06-11 Fri 23:36
1006つくば
産総研つくばセンターの正門

6日の “ 愛犬の死 ” を最後に、しばらく更新をしない状況が続いたのですが、この間
仕事に関する研修で出張していました。 行き先は 「 産総研つくばセンター 」 という
国内最大の研究拠点で、分析機器に関する研修でした。 そして、先程帰ってきました。

1006つくば7

ちょうど “ 傷心を癒す旅 ” でもあったのですが、おかげで気分転換をすることがで
きました。 しかし、残された妻は “ 喪中状態 ” で淋しい日々を送っていたようです。

1006つくば8

この研修中、早朝、センター内や近くを散策したのですが、そのとき目に付いた植物
を撮影しました。

1006つくば9

北海道とは異なる植生で、珍しい木が多かったのですが、その中で、北海道にもある
木もありました。 例えば、コナラ、ニセアカシア、トチノキ、イチョウ、クリなど・・・・

1006つくば10

1006つくば2
コナラ

1006つくば3
ニセアカシア

1006つくば5
トチノキ ( 街路樹 )

1006つくば4
イチョウ

1006つくば11
クリ

1006つくば12
クリ

1006つくば15
モウソウチク ( 孟宗竹 )

モウソウチク ( 孟宗竹 ) は北海道には無い植物ですが、間近で見ると見事でした。

1006つくば13
キログラム原器

産総研つくばセンターにあった 「 キログラム原器 」 です。 1キログラムの現在の
定義は、 「 国際キログラム原器の質量 」 なのですが、国際キログラム原器を元に
40個の複製が作られて各国に配布・保管されており、約10年ごとに特殊な天秤を
用いて国際キログラム原器と比較されることになっていて、これはその一つです。

1006つくば14
メートル原器

長さの単位 「 メートル 」 を実現するために作られた 「 ものさし 」 で、メートル条約
加盟国に配られ、1960年まで長さの原器として用いられてきた。 日本国メートル
原器はNo.22 ( 正原器 ) とNo.20 ( 副原器 ) で、No.22は1958年から
1961年にかけて目盛の新たな引き直しが行われ、現在も標準尺として当所が保管
している。 なお、現在の1メートルは、1秒の299792458分の1の時間に光が真空
中を伝わる行程の長さとして定義されている。
web拍手
別窓 | 日記 | コメント:0
| Your Song | NEXT