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心の命ずるままに
魔術師の種明かし
2007-02-27 Tue 19:00
マンボウ

私は天才という言葉は、あまり好きではありません、大仰でどこか堅苦しく
て。 ですから、私は「 魔術師 」という言葉を好んで想い描きます。
この人たちは、凡人には思いもつかないことを、いとも簡単に行ってしまう。
多分、人知れず行っている努力は計り知れないものでしょうが。

例えば、イチローのように、思いもかけぬ難しい球を打ち返すとか、絶対無
理と思われる球を、グラブに収めてしまうように。 また、エルトン・ジョンの
ように、どこから沸いてきたのか、心地の良いメロディーを、思いもかけぬ
ピアノ・テクニックで奏でるとか。

そして、北杜夫氏も、私にとっては言葉の魔術師で、抒情的な思いもかけ
ぬ言葉で、私の心を響かせます。

そして、その人生と作品の種明かしが「 どくとるマンボウ回想記 」。
プライベートなことから、創作秘話まで、私がこれまで知りたくても出来なか
った事実が、独特のユーモアある語り口で述べられています。
ただ、同時に深い寂しさと諦念の感情をともなって・・・

いずれ私たちも同じ運命なのでしょうが、その時、北氏のように人生を達観
できるでしょうか。 私の両親も北氏と同じ世代ですが、この姿勢はたぶん、
あの壮絶な戦争を経験し、生き残ってきた者に共通なのかもしれません。

平和が当たり前で、生ぬるい人生を歩んできた私たち、そのときが来ても
“ じたばた ”しないようにしたいものです。
それには、今、悔いの残らないように生きなければ・・・

ところで、私も北氏と同じく、父を大変尊敬しています。 私が到底真似の出
来ない人生の「 魔術師 」として・・・

< 追記 >
私の父は、大学では土木工学を専攻し、卒業後徴兵され工兵として、満州へ
赴きました。 途中、揚子江で輸送船が攻撃を受け沈没し、泳いで助かったと
のことです。 その後、技術系であることが幸いし、一時特命で内地へ戻り、
終戦を迎えました“ 中国の所属部隊は全滅 ”。
戦後は、大手建設会社でダム・トンネル・橋梁建設の技術者また責任者とし
て転勤が多く、あまり家で一緒に過ごした記憶がありません。
兄が亡くなったときも現場でした・・・・・このように、父の人生は私が到底真似
のできないものであったことは確かです。


序にかえて ― わが人生( 北杜夫 )

私は何年か前、肺炎で入院して以来、めっきり体力が弱くなった。
それに加えて腰痛がひどくなり、歩くにしても杖がないと危なくなった。
また入歯の具合がわるく、ものを噛むのもしんどくなった。

もちろん、私なりに健康にも気を使った。
私はかなりの飲ん兵衛で、若い頃は2日でウィスキー1本を空けたものである。
アルコール性肝炎ともなり、節酒に苦労もした。
しかし、ごく自然に強い酒を求めなくなった。ビールだけで済んだ。
それもかなり前から、1日に缶ビール2本で済むようになった。
それ以上、体が要求しないのである。

煙草にしてもヘビー・スモーカーで、1日に3箱も吸ったほどである。
若い頃、煙草をやめたこともあったがそれにはかなりつらい思いもした。
ところが、煙草もごく自然にやめることができた。自分でも不思議なくらいである。

私は昔から賀状を出すのがオックウであった。
それで頂く賀状を見て、返信を要する人にだけ賀状を出していた。
活字の賀状は味気ないので、直筆のハガキをコピーしたものである。
或る時期から、高校や大学時代に作った短歌や詩の一節を書いた。

たとえば・・・
 “ いつか季節(とき)の移りて見渡せば四方(よも)のはかなさ ”

すると一人の方から返信があって、まさしくその通りだと書いてあった。
つまり、いつの間にか友人知人がほとんど亡くなってしまったというのである。
その頃、どう考えても自分はもう1,2年しか生きられぬと考えた。
それで今から5年前、要約するとざっと次のような賀状を書いた。

 「 小生、失礼ながら賀状は本年かぎりにさせて頂きます。
  あとは腰痛にも耐え、なるだけ早い自然死を待つつもりです。
  これまでの御芳情に感謝します。   世を捨てた北杜夫 」

ところが、世を捨てるとかえってストレスもないらしく、未だに死なない。
これには私としても困っているところである。
それには妻の努力もあるようだ。常日頃ガミガミと私を叱( しか )りつける妻が、
それなら夫をほっておいてくれるかというと、不思議にもやはり私が死ぬと困る
らしい。 それで、歯の弱い私のために、何とか食べられる食事を作ってくれる。
それも栄養のバランスが良く、従って私はなかなか死なない。 娘も会社勤め
で忙しく、私の世話はしないが、これまた父親のことを思ってくれる。

私がうれしく思うのは、かなりの国や土地を旅行できたことである。
これも作家という職業だったからであろう。
宇宙旅行士が地球を離れて改めて地球のことを考えるように、人は国を離れて
みて、自分の母国というものを考えるのである。

わが人生をふり返ってみて、さして満足もしないが、それほど後悔するわけでも
ない。 なにより私が幸せだと思うのは、高校に入る頃から父をずっと尊敬し、
これもまた変り者であった母をもまた好きであったことである。
また好きな文学の道を歩いてきて、何とか暮らせたのもやはり幸せと言ってよか
ろう。 さしてこれと言った仕事もできなかったが、それ以上をべつに望むことは
全くない。
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SAYURI
2007-02-25 Sun 13:28
SAYURI

昨晩、娘とこの映画を観ました。
日本人の出演者が半数以下で、台詞がほぼすべて英語、
何か、東洋にある架空の国の物語のようで、少し違和感がありましたが、
逆に新鮮なおとぎの世界を堪能することができました。

映像と音楽はとても素晴らしい。 
特に映像はカメラの角度から、花街の湿って暗い雰囲気、
桜が舞う庭園など古都の風情満載、それだけでも見飽きない作品。

「 シカゴ 」と同じ監督で、西洋と東洋と全く異なる世界を描いていますが、
主人公が舞台で踊りを舞う姿など、共通の映像美を感じました。
チャン・ツィイーは相変わらず、美しく可憐で、
工藤夕貴は「 ヒマラヤ杉に降る雪 」以来でしたが、演技と英語力はお達者ですね。

ストーリーは、もう少し主人公の内面を掘り下げる工夫が欲しかったのですが、
芸者の悲しい運命と東洋的純愛で、その奥ゆかしさと優しさは、
チャップリンの「 街の灯 」を思い起こさせるものがありました。

最後のナレーション

心の死は ゆっくり訪れます
希望の木葉のように散らし
ある日 枯れ尽きます
希望は消え 無だけが残るのです
化粧をするのは 素顔を人から隠すため
目には深い悲しみの水・・・
芸者は何も求めることなく・・・
何も感じてはいけないのです
浮き草のような世界で 芸に生きる女
踊って ―  歌って ―
客を楽しませる
客に仕えて
あとは影に包まれ・・・
秘密の世界に消える

太陽に“ もっと光を ”とは言えない
雨に“ 降るな ”ということも
芸者は男にとって
“ 妻の半分 ”でしかないのです
私たちは“ 夜だけの妻 ”
それでも ―
多くの辛酸をなめた後で 人の優しさに触れました
自分が知る以上の大きな勇気をもった女の子の祈りは ―
いつの日か叶うのです
それも一つの幸せでは?
どこかの国の女帝や女王の回顧録ではありません
ある女が歩んだ人生の話なのです

※ 2005年アカデミー賞 受賞
「 撮影賞・美術賞・衣装デザイン賞 」

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バカヤロー・コーナー 第二弾
2007-02-24 Sat 00:03
とんがらし

またまた、古い話で申し訳ありませんが、以前( 昨年10月27日 )に
「 イルカ 」のオールナイトニッポンの「 バカヤロー・コーナー」について
書きましたが、彼女のエッセイ集「 とんがらし(1975年) 」にとても
愉快なお話がありましたので紹介します。

東北の魔人「 吉川団十郎 」

ある日、「 バカヤロー・コーナー 」にこんな葉書が届いたのです。
― 仙台に吉川団十郎という変な野郎がいる。 そいつは東北放送でDJをやって
いるだが、ジャイアント馬場のことばかり応援して、アントニオ猪木がかわいそう
なんだ。 だから吉川団十郎にバカヤローと言って下さい ―

吉川団十郎という名前は「 キューピーちゃん 」という曲で聞いたことがあったけ
ど、どんな人かは知らない。 しかし、とりあえず、
「 ウギャー、吉川団十郎のバカヤロー・・・・ウ! 」とやったのです。

すると次の週から「 何で団十郎にバカヤローと言ったのだ。 団十郎は東北の
スーパー・スターなんだぞ! 」というハガキがわんさか。
それに仙台のイルカ諜報部員からのハガキによれば、今度は団十郎が
「 イルカのバカヤロー 」とやったらしいのです。
そしてその証拠のテープまで送ってきたんだから、さあ大変。
カッコマン達も興奮して、何とか団十郎を“ のしいか ”のようにしてやろうと、
話はだんだんエスカレートしていくのでした。
その頃、運悪く? 仙台でコンサートの仕事があって、東北放送より団十郎が
DJをやっている「 AMOジャンボ・リクエスト 」という番組のゲストに是非
出てくれということになったのです。 さてどうしたらよいものか。

みんなは「 イルカ、団十郎なんかに負けるなよ、やっちまえ 」とか、
「 オイコラ! イルカ、団十郎に手を出したらブッ殺すぞ 」とか、
人のことだと思って、もう好き勝ってにハガキを書いてくるしさ。
しかし、とうとう仙台における「 団十郎との対決 」の日がやってきたのです。
前の日はもちろんドキドキ、なかなか寝つかれず。 
だって、レコード・ジャケットを見た限りでは“ 密林の王者 ”というふうな顔
しているだもん。 だから仙台の駅をイルカは忍者のようにスッスッと歩いたのだ。
だって団十郎一族の手によって、闇討ちにあうかもしれんからなのだ。

しかしその日は何事もなく過ぎ、次の日、イルカは“ ぎょくりゅうドリンク ”
を飲み、東北放送へと向かうのであります。
もちろん東北の魔人、団十郎の必殺技「 なめこ地獄 」に対するイルカ考案の
必殺技「 ジャンピングおむつ返し 」をもって。

さてスタジオに入ると、いよいよ団十郎との対決。 
シーンと静まりかえったスタジオの中で、イルカが光線銃を出しかけた時のことだ。
ドアが開いた。 するとあの団十郎がテケテケ笑いながら、
「 いやいや、おばんです 」と言って近づいてくるではないか。
イルカは思わずこけてしまった。 だって“ 密林の王者 ”はあまりに可愛い笑顔
のキューピーちゃんだったからである。

一応の挨拶を交わして、いろいろと話したのだが、早口でしゃべるし、
強烈な東北弁であまり意味がわからなかったのです。 しかし一緒にいると、
あの無着成恭先生といるようで、とても気持ちがやわらぐのです。
それに、団十郎のパートナー“ やすえちゃん ”も、以前東北放送の仕事で
会ったことのある人だったので、急に嬉しくなっちゃった。
東北の魔人もコワイ人じゃなくて、あーよかった。

番組が終わってからも、コンサートの話なんかしてたら、以前シュリークスで
仙台に来た時、コンサート見に来てくれたとか。
同じフォーク・シンガーとして、今度は是非イルカと団十郎とでジョイント・
コンサートやりたいネ、なんて話がはずんだのです。

帰りに、可愛いおさるの人形と < 塩 > をもらったりして。 
なんでも敵に塩を持たせるといいそうです。
でも団十郎ちゃんていい人だったなあ。
すごく素朴で、純粋そうで。 やっぱり男は顔じゃないよネ。
そういうわけで、結局この対決は和平の道へと進んだのであります。
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楡家の人びと
2007-02-22 Thu 19:55
楡家

私は元々“ 理科系人間 ”で、学生時代も国語は大の苦手で、
大学の専攻も農芸化学科でした。
その私が、最近小説の世界にはまってしまって、
年のせいか、或いはこのブログのせいかもしれません。
そのため、しげしげと市立図書館に通っています。

その中で、手始めに読み始めたのが北杜夫作品。
実は、あまり小説に触れることのなかった昔でも、
何故か、この作者の小説は読んでいました。
“ どくとるマンボウ ”と呼ばれる“ とつとつ ”としたお人柄に
反して、その鋭く、才気溢れる文章に魅了されて・・・・
躁鬱病ということで、内面的にはかなり激しいものを
お持ちであることは、後に分かったのですが。

今回、私が読んだ小説は「 楡家の人びと 」です。
職員100名と患者330人を抱える「 楡病院 」を舞台に、
書き出しは、その大人数の昼食準備のため、二斗炊きの大釜4つで
米を炊くという騒々しい情景描写から始まるこの物語は、大正から昭和にかけて、
第一次世界大戦、関東大震災、第二次世界大戦という歴史の荒波の中で、
「 楡家の人びと 」の栄枯盛衰を描いた叙事詩です。

作者の人物・情景描写は、精神科医師だからなのでしょうが、
冷徹な観察眼と表現力を持って鋭く、独特のユーモアを交えながら、
畳み掛けられ、読み込むうちに、正直圧倒されました。
中だるみもなく、これだけ膨大な作品を書き上げるには、
相当なエネルギーを必要としたのではないかと感心しました。
三島由紀夫がこの作品を下記のように絶賛したこともうなずけます。

“ 戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つである。
この小説の出現によって、日本文学は、真に市民的な作品をはじめて持ち、
小説というものの正統性を証明するのは、その市民性に他ならないことを
学んだといえる。 これほど巨大で、しかも不健全な観念性をみごとに脱却した
小説を、今までわれわれは夢想することもできなかった。 ”

この作品は、作者の自伝的小説であり、書くことを定められていたテーマです。
その登場人物の中には、自身や兄 斉藤茂太をモチーフとした楡周二と楡峻一
が登場しますが、主役は何といっても、楡徹吉“ 父 斉藤茂吉 ”と妻でしょう。
山形の田舎出の秀才 徹吉が楡病院の院長 基一郎に認められ、学習院出の
気が強く、基一郎の崇拝者である娘 龍子の婿となるところから始まり、二人の
相克と、研究肌である徹吉の臨床医あるいは院長としての資質の無さ、学問の
追及との両立に悩み、深く苦悶する姿を描いています。

なお、別の短編「 死 」で、作者は父 斉藤茂吉に対して、自ら茂吉作品の愛好者
あるいは崇拝者であると告白しておりますが、かなり父親の影響を受けたことは、
間違いないようです“ もちろん遺伝的にも ”。
また、兄である楡峻一が戦争から帰還し、再会する場面を感動的に描いております
が、昨年この兄 斉藤茂太先生が帰らぬ人となったことは大変悲しい出来事でした。

その他、様々な人間が登場し、波乱万丈の人生模様を展開します。
とても楽しめると思います。 ぜひ一度お読みください。

終戦後、山形の疎開先で散策に出た徹吉の心に去来する想い

秒が分となり、その分がやがては時となり1日となってゆくだろう。
こうしてみると、時間の経つのはそれほど早くはないはずだのに、
しかし刻(とき)は、実際にはなんと早く流れるものであろう。
それもすべてのものをこれほどまでに空虚におし流して。

愚かであった、と徹吉は思った。 自分は、・・・自分の一生は
一言でいえば愚かでむなしいものではなかったか。
あれだけあくせくと無駄な勉強をし、そのくせわずかの批判精神もなく、
馬車馬のようにこの短からぬ歳月を送ってきたにすぎないのではないか。
いや、愚かなのはなにも自分一人ではない。
賢い人間がこの世にどれだけいるというのか。
自分の周囲、少なくとも楡病院に暮らしていた人々は、
有体にいえばすべて愚かであった。誰も彼も愚かであった。
だが愚かなら愚かなりに、もっと別の生き方もできはしなかったか?
少しは妻ともなごみ、子供たちを慈(いつく)しみ、
せめて今の意識をもう少し早く持つことができたら!
それにしても、自分はなんと奥底まで疲れ、
弱気になってしまったことだろう・・・・

30分後、通りかかった村人が、松の根方に倒れている徹吉を発見した。
抱き起こしてみると、かすかに口をきき、まだ脈は確かなようであった。

本小説の最終項“ 東京の借家で ”

・・・夫ももう駄目だ。3人の子供は誰一人として頼りにならない・・・
だが、龍子の心は決してしぼみ萎(な)えはしなかった。
彼女だけは、せめて彼女一人だけはこの逆境に意気阻喪(そそう)しては
ならなかった。負けてはならなかった。
たとえ他の者がどんなにだらしなかろうとも!
理不尽な怒りにかりたてられ、龍子は衝動的にきびきびと席を立った。
台所から足音も荒く干した茶がらを持ってくる。
卓袱台の端に取りつけた粉砕機の中に入れる。
そして龍子は、しゃっきりとうなじを立て、何者かに挑戦するかのように
唇を噛みしめながら、せかせかと、力まかせに、
把手をまわして茶がらをひきはじめた・・・・・。
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