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心の命ずるままに
消え逝く応援団
2007-03-20 Tue 21:42
応援団

大学時代( 北海道大学 )の私は、軟派の方でしたが、
伸ばし放題の髪と髭に、ボロボロの羽織を身につけ、高下駄で歩く得体の知れない
「 北大応援団 」の一種威容( 異様? )な姿は、大学という自由な世界を象徴し、
ある種羨望と尊敬の目でみていたように思います。

いつの間にか時代は流れ、過去の遺物は消え逝(ゆ)くものなのですね・・・
そして、この遺物は数々ありますが、この応援団もその運命にあるようです。
下は3月18日の北海道新聞の記事からの抜粋ですが、
ライバルの小樽商大では応援団員不足が深刻とのことです。寂しいですね。

“ 小樽商大応援団は、1997年にメンバーが一人となって休団を余儀なくされ、
北大との対面式も途絶えた。その後は正式な復活を見ないまま、一人か二人が
細々と活動してきた。小樽商大ただ一人の応援団員 商学科4年 植地雄さんの
卒業とともに応援団の伝統は途絶える見通しとのこと。

2月25日、入学試験に臨む受験生が足早に入る小樽商大の正門横に、仁王立ち
している植地雄さんがいた。従える団員のいない応援団長だ。身にまとうのは
創団以来洗濯していないという黒い羽織はかま。首からは太い荒綱を下げ、
素足には高下駄。口を大きく開き、冷気をぐっと吸い込むと、鬼のような形相で
高い声を張り上げた。 「 フレー、フレー受験生! 」腰で結んだ荒綱をがっしり
とつかみ、上体をそらせる。しこを踏み、両手をたたく。さまざまな姿勢で、校歌
や商大で歌い継がれる「若人逍遥 (しょうよう) の歌」を披露し受験生を激励した。

最後のエールは、キャンパスに集う卒業生の胸にどう響くだろうか。たった一人
となった小樽商大応援団員が19日、卒業を迎える。かつて北大との総合定期戦
の対面式で名物の舌戦を繰り広げた応援団。その90年近い歴史に空白が訪れる。

一方、ライバル北大応援団はいま三人。団長の児玉康成さんは「 商大戦(対面式)
は北海道の祭り。僕たちも復活させたい思いがあった。可能性がゼロになるのは
悲しいこと 」と声を落とす。 ”

なお、「 若人逍遥の歌 」には私が学生時代に男性合唱団の一員として北大、小樽
商大、北海学園大学、酪農学園大学の4大学合同コンサートで「 都ぞ弥生 」と共に
歌った懐かしい想い出があります。

また上の写真は、対小樽商大対面式で挑戦状を読み上げる北大応援団( 昭和47年 )
です。

若人逍遥 (しょうよう) の歌 ( 作詞 高島茂 )

1 琅融 ( ろうかん ) とくる緑丘 ( りょっきゅう )
  春曙 ( はるあけぼの ) を逍遥 ( さまよ ) へば
  浪漫 ( ろまん ) の靄 ( もや ) に街沈 ( まちしず )
  風悠久 ( かぜゆうきゅう ) の言葉あり
  瀾朶 ( らんだ ) の桜花吹雪 ( さくらふぶき ) つつ
  あわただしくも逝 ( ゆ ) く春の
  伝統古き学舎 ( まなびや )
  展 ( ひら ) ける海のはてしなき

2 夏白樺 ( なつしらかば ) に囁 ( ささや ) きて
  ハイネの詩 ( うた ) を口誦 ( くちず ) さむ
  みめ美 ( うる ) はしきまなざしの
  又なき時のいとほしさ
  断崖落 ( きりきしお ) ちて浪 ( なみ ) くだけ
  オタモイ遠く帆走 ( ほばし ) れば
  小樽の嶺々 ( ねね ) の夕あかね
  冴 ( さ ) ゆる北斗にうそぶきぬ

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キュウリ3本
2007-03-17 Sat 09:40
北 遠藤

北杜夫著『 どくとるマンボウ回想記 』から、ファンの間では、有名な話
だと思いますが、遠藤周作氏と北杜夫氏の親交の一端を紹介し、
「 狐狸庵先生 」独特のユーモアについて想いを馳せます。
 なお、上は素人劇団「 樹座 」の公演で二人が共演した時( 1970年 )
の写真です。

遠藤周作さん

遠藤さんは中軽井沢に別荘を建てる前は、貸別荘を借りて住んでいた。
私も結婚してからはごく小さな貸別荘で暮していた。
或る年の夏の前、遠藤さんは、「 今度の別荘は土地は6千坪、部屋数は
まあ無数と言ってよいな。後学のため、一度見に来たまえ 」と言っていた。

そこは旧軽の六本辻のそばであった。たまたま私もその近くに小さな家を
借りたので、一日、妻と一緒にそこを訪ねてみた。

確かに大きな建物であったが、大きいも道理、それは休院中の或る病院で
あった。 遠藤さんは、「 君はどこに住んでいるんだ? ああ、あの小っぽけ
なマッチ箱の家か。 ぼくんとこは、トイレもバスも2つずつあるぞ。
おれの息子は、毎日金貨をジャラジャラもって遊んでいるぞ。
君もしっかりして、娘さんに金貨で遊べるようにするんだな 」

私はびっくりして、息子さんの部屋を覗いてみた。
すると本当に小さな男の子が、沢山の金貨で遊んでいた。
しかしよく見ると、それは金色の紙で包んだチョコレートにすぎなかった。
男の子は、ときどき金貨の紙をはがしてモグモグ食べていた。

その夏はウィスキーを御馳走になったりしたので、私は帰京するとき
キュウリ3本があまったので、それを彼に届けるよう大家さんに頼んで
おいた。 するとあとで遠藤さんのエッセイに、

「 北君は酒を大いに飲んで、やがて夕食になると、
 『 夕食には何を食べとるですか。あんがいうまそうですな。
 よし、ぼくも食べてやるですぞ 』と、飯を3杯食べて引上げた。
 それからというもの、翌日もくる、その翌日もくる、
 そして、『 もっと飯をもれえ 』と言い、大飯を食べて引上げる。
 わしもそれには恐れ入って、息子を外で番をさせていると、
 息子が息を切らして戻ってきて、『 北さん、キタよキタよ 』
 北君はまた『 飯をもれ 』と言う。
 おまけに毎日人の家に来て飲んだり食ったりした末、
 帰京するとき置いて行ったのはたったキュウリ3本だ。
 北君は何というケチな男だ 」 云々。
 
すると読者から幾つも手紙が来て、
「 北さんがそんなケチな人とは知りませんでした。
ガッカリしました 」などと書いてある。
その夏、私は遠藤宅でウィスキーは御馳走にはなったが、
御飯を食べたことは一度もない・・・
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深い河(Deep River)
2007-03-16 Fri 22:53
深い河

前にも述べておりますが、私は大学時代に男声合唱団でバス(最低音パート)
を歌っていました。そして、数々のレパートリーの中で、今でも歌ってみたい曲は
沢山ありますが、その筆頭は「 黒人霊歌 」です“ 曲目は下のとおり ”。

Deep River( 深い河 )
Ride the Chariot( 戦車に乗ろう )
Steal away to Jesus( イエスのもとへ逃れよう )
Sometimes I Feel Like A Motherless Child( 時には母のない子のように )
The Battle of Jerico( ジェリコの戦い )
Soon-a will be done( もうすぐ終わる )

これらは、長い間奴隷として虐げられてきた、文字の読めない黒人たちが、
聖書を“ 音 ”として聴き、“ 魂の叫び( Negro spiritual ) ”として
歌にしたものです。そして、この中の代表曲は、太い重厚な低音が響く、
低音パートが最も活躍するDeep River( 深い河 )です。

また、もう一つの『 深い河(1996) 』は遠藤周作の長編小説。
“ キリスト教的視点で描く純文学で、立場も背負っているものも違う人々が、
それぞれの目的で聖なる川「 ガンジス 」を目指す物語 ”
そして、この創作日記には次のように書かれています。

“・・・『 河 』という題が『 深い河 』という題に変わったのは、黒人霊歌
の「 深い河 」を昨日聞いて、これこそこの小説の題を表していると思い、
作品中にこの霊歌を暗示する一節を入れたいと考えた。 ”
そして、作者は実際にこの題「 深い河 」にディ―プ・リバーと併記し、
第1章の冒頭に「 深い河、神よ、わたしは河を渡って、集いの地に行きたい
黒人霊歌 」と記述しています。

ところで、この舞台であるインドには「 墓 」がないのはご存知でしたか。
ヒンドゥ教徒にとってのガンジス川は「 聖なる川 」で、沐浴をすることには
「 罪を清める 」という特別な意味があり、人が亡くなると火葬にしてから、
その遺骨をこの川に流します。 また火葬しないで遺体をそのまま流すという
「 水葬 」もあるようで、小説の中でもこの描写は出てきます。

遠藤周作氏は、狐狸庵山人( こりあんさんじん )として、いたずら好きで
親しみやすく、多くの人と幅広い交友を持った作家で、北杜夫氏とも深い親交
があり、お二人の交流を描いたエッセイを昔楽しく読ませて戴いたものですが、
1996年に73歳で逝ってしまわれました。

今回、『 沈黙 』と『 深い河 』を拝見しましたが、12歳で洗礼を受けた
カトリック信徒として、生涯をかけてキリスト教にこだわり続けた作家で、
海外でも翻訳され高い評価を受けているとのことです。

そして、先生がスポットライトを当てる信者は、高潔な強者ではなくて、例えば
ユダのように、時には主を裏切ってしまう聖なる弱者で、その弱さ故の苦悩を
見事に描いており、思わず自分の姿を投影してしまいます。
先生自身、若い頃から病気がちで、肺結核や糖尿病を患い、最後も「 壮絶な闘病
生活 」の末に旅立たれたようで、ある意味“ 弱者 ”であったのかもしれません。

北杜夫氏はエッセイ「 遠藤周作さんの深い河(1996) 」で、こう述べています。
“ この作品で、チャームンダーという女神について添乗員が説明するところが
ある。「 彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から
乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病の
ため、ただれているのがわかりますか。腹部も飢えでへこみにへこみ、しかも
そこには蠍(さそり)が噛みついているでしょう。彼女はそんな病苦や痛みに
耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです 」。
ここにも遠藤さんの求め続けた、キリスト教を超えた宗教観が表れていると思う。
・・・・・・・・
遠藤さんは求めてやまなかった人間の深い河をようやく渡って帰星されたのだ。

Deep River(深い河) ~ 男声合唱曲集より

my home is over Jordan,Lord!
 私の故郷“ 聖地カナン ”はヨルダン川のむこうにあります 神よ!
Deep river,my home is over Jordan,
 深い河よ 私の故郷はヨルダン川のむこうにあります
Deep river,Lord!
 深い河よ 神よ!
I want to cross over into campground.
 私は河を渡って「集いの地」へ行きたい
Deep river,my home is over Jordan,
 深い河よ 私の故郷“ 聖地カナン ”はヨルダン川のむこうにあります
Deep river,Lord!
 深い河よ 神よ!
I want to cross over into campground.
 私は河を渡って「集いの地」へ行きたい
Oh,don’t you want to go to the gospel feast,
 あの祝福された宴へ行きたくないか
Oh!Promised Land,where all is peace?
 約束の地 穏やかな安住の地へ
Oh!Deep river,Lord!
 深い河よ 神よ!
I want to cross over into campground.Ah!
 私は河を渡って「集いの地」へ行きたい
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春まだ浅き想い
2007-03-13 Tue 18:23
春まだ

心の隙に、こっそり入り込む無明(むみょう)の闇
心の底に、音もなく降り積もる悔悟の塵埃(じんあい)
心の扉を開けても、そこには荒涼とした大地が広がるだけです

春は間近で、陽光の輝きが日増しに強まる中
白い雪原に冬陽炎(ふゆかげろう)はもうありませんが
時折、風雪吹き荒れる冬の揺り戻しに、春まだ浅き想い

「 どうして 」と呟いたそばから、その言葉が凍りつく
「 いつかその日を待っています 」と言う口元で
当惑する想いが、淋しく響きます

いつの間にか、過去の記憶に縛られて
身動きのつかない状態です・・・
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別窓 | 季節・自然・風物 | コメント:0
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