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心の命ずるままに
望 郷
2007-05-31 Thu 18:56
望郷

「 至誠の心 」に続いて、再度アラスカのいとこの話題を紹介します。
私のブログで紹介したことに対する事後了解と、励ましを含めたメールに
対し長文の返信をもらったのですが、その中で特に印象深かった文章を
下のとおり転記します。

前回紹介しましたように、いとこは大学を卒業後、狭い日本を飛び出し、
異郷の地アラスカへと渡っていったのですが、今では望郷の念はとても
強いようです。 そして、今回の出来事は、アラスカという異郷の地で
あったから起こったことであり、この地で彼を支援し立ち上がった日本
人の想いの原点もここにあると思います。

私は10年ほど前、短期ではありましたが仕事で単身ヨーロッパへ行った
ことがあります。 全くの一人旅ということで、その時感じたカルチャー
ショックは大変なものでした。 アムステルダムの駅では防弾ガラス越し
に切符を買い、またホテルの掃除人は皆有色人種でした。 パリでは、ジ
プシーが物乞いをしており、石造りの建物と相まって、何か冷たいものを
ひしひしと感じたのです。 そして、ようやく成田空港へ降り立った後は、
何と日本は平和で居心地のよい国なのかと感じた記憶があります。

たぶん今回支援に立ち上がった現地日本人の行動は、前回彼の話にあった、
“ 領事館の存在そのものが精神的な支えになった ”と述べたある日本人
の言葉に集約されていると思います。 異民族、異文化の中で懸命に暮し
ている日本人にとって、身近で親身に接してくれる“ いとこ ”のような人間
の存在は大変大きかったのでしょう。

日本に住む私たちは、周りには同じような顔を持つ、同じ言葉を話す人間
が居て、安全で便利な生活を当たり前のこととして生きています。
それが“ かけがえがない ”ことだと気づくには、それなりの経験が必要のよ
うです。 そして、彼には今後是非その貴重な経験を生かしてもらいたいと
思います。 できれば、この日本で・・・・

○○さん、ありがとうございます ( 岩崎久和 )

この数週間、様々な方々から励ましのお声をかけていただきましたが、
貴方からのメールは、僕にとって特別なものでした。
血のつながっているいとこの貴方から激励をいただいたことが、どんな
に心強く感じることか、うまく言葉に表現できないほどです。
貴方のお気持ちを届けてくださって本当にありがとうございました。

僕は日本を離れて10年ほど経った頃から、自分が日本を懐かしく思う
気持ちを、そのまま口に出すことへのためらいがなくなってきました。
勿論それ以前も、心の中には望郷の想いがありましたが、いつも言葉に
なったわけではありませんでした。

アラスカで暮らしていけることをとても幸せに感じつつ、更にその上で、
自分にとってこんなに懐かしく思うことのできる日本があることが、
とても贅沢で恵まれていることであると、改めて自覚するようになりま
した。 どちらかひとつではなくて、両方への想いを等しく持っていて
も全くかまわないのだという、あたりまえのことに気づきました。

家族や親戚に対しても、実際の距離とは関係なく、いつでも自由に想い
を馳せることができると思うと、気持ちが楽になった記憶があります。
近くにいたり、普段こまめに連絡を取り合っているわけではないけれど、
自分とのつながりが決してなくならない家族や親戚がいてくれることが、
それだけでとても励みになることも以前に増して知りました。

貴方にこのように声をかけていただいて、また、こうやって自分の気持
をお送りすることができることを幸せに思います。

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ロケット・マン
2007-05-29 Tue 19:31
ホンキー

エルトンファミリー
 上段左から、 バーニー 、 ナイジェル、 エルトン
 下段左2人目から ディー 、 デイヴィー


前回は宇宙に関する話題でしたので、今回はそれにふさわしい作品を紹介します。
エルトン・ジョンの7枚目アルバム 『 ホンキー・シャトウ 』 に収められている「 ロケ
ット・マン 」です。

エルトンは、このアルバムで、徐々に強めてきたロックン・ロールへの志向を明確
にしました。  そして、この曲はとてもクールで、オリジナルメンバーであるナイジ
ェル( ドラムス )、ディー( ベース )、デイヴィー( ギター )のシンプルなバンドに
シンセサイザーが効果的に宇宙の雰囲気を演出し、とても斬新でカッコいい。
なお、ディー は残念ながら、1992年( 45才 )に癌で亡くなってしまいました。

「 Your Song 」と同様に、彼が生み出すメロディーは自然体であるにも係わらず、
新鮮な驚きを与える要素を含んでいます。 この作品はエルトンも気に入っている
ようで、コンサートでは必ず披露されています。 そして、この演奏は簡単には終わ
らず、エルトンの華麗なピアノ独奏へと繋がっていくのです。

バーニー・トーピン作のこの詞は、遥かな宇宙を旅する飛行士の心情を的確に表現
していますが、エルトンの曲にとても合っていて、本当に宇宙を彷徨っている気分
になります。 自由に対する憧れの強い私にとって、とても気持ちの良い作品です。

また、今人気沸騰中の「 TOKIO 」のヴォーカルである長瀬智也さんもお気に入り
とのことです“ 彼の大ファンである妻から聞いたのですが ”。

ROCKET MAN ( I think it’s going to be a long , long time )
 ロケット・マン ( ぼくはいつまでも飛びつづけよう )


She packed my bags last night pre-flight ,
 夕べ妻は飛び立つぼくの荷物をまとめてくれた
zero hour , nine a.m.
 発射時刻は午前9時
and I’m gonna be high as a kite by then .
 その時ぼくは凧みたいに高く昇って行く

I miss the earth so much ,
 地球がとっても恋しい
I miss my wife .
 妻も恋しい
It’s lonely out in space on such a timeless flight .
 そんな時にこうして飛んで宇宙を彷徨うのは寂しい

And I think it’s gonna be a long , long time
 でもぼくはいつまでも飛びつづけよう
till touch down brings me round again to find
 すぐ着陸すればみんなが思っているような―
I’m not the man they think I am at home .
 ―人間じゃないことがまたわかってしまうから
Oh , no , no , no ,
 全然そうじゃないことが・・・・・
I’m a rocket man ,
 ぼくはロケット・マン
rocket man burning out his fuse up here alone .
 燃えつきて天の彼方へ消えて行く

Mars ain’t the kind of place to raise your kids ,
 火星は子供を育てられるような所じゃない
in fact it’s cold as hell
 実際とっても寒いんだ
and there’s no one there to raise them if you did .
 子供を預けて育ててもらおうにも そこには人がいないんだ
And all this science ,
 科学のことなど
I don’t understand .
 ぼくにはわからない
It’s just my job , five days a week ,
 天の支配者ジュピターとこの宇宙があればいい
a rocket man .
 ぼくはロケット・マン
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マクロとミクロな世界
2007-05-26 Sat 12:15
周期律表

私が北杜夫文学に惹かれる理由の一つが、氏の小説には男女の痴情をはじめ、
恨み、憎しみ、復讐、怨念といった人間関係における、どろどろとした話題を
取り上げていないということです。 ですから、読後感がとてもいいのです。

一方、同じ意味で、私は宇宙に興味があります。 不条理で不合理な浮世を
離れて深淵で厳然で、妥協のない原理と自然法則に基づく世界です。
この世界を堪能するためには、難しい内容を飛ばしてしまう必要があります。
その美味しい部分を食べればよいのです。

それでは、その中から話題を一つ紹介します。それは、マクロ( 宇宙誕生 )と
ミクロ( 元素誕生 )のこのことで、過去の現象ではなくて、今も進行している
ことであり、また遠い将来また繰り返すであろう事柄です。

我々の住むこの宇宙の誕生は137億年前の ビッグバン( Big Bang )
と呼ばれる大爆発から始まり、現在も膨張していると考えられています。
最初は“ 火の玉宇宙 ”と呼ばれる、非常に高温かつ高密度の状態で、星も生命
も存在しない素粒子が飛び交う状態であったのです。 つまり、陽子、中性子、
電子がバラバラの状態で飛び回っていました。

“ 宇宙最初の3分間 ”といわれてきたように、この3分間で水素、ヘリウム、
といった軽い元素が合成され、次により重い、リチウム、ベリリウム、ホウ素が
生成されました。

その後原始銀河が形成され、次いで星の誕生へと続くことになります。
星は高温高圧の中心部で、超高温下の核融合反応により、より重い元素、炭素、
酸素、ネオン、マグネシウム、珪素、イオウ、鉄までが生成されました。

さらに、星の進化の最後に起こる超新星爆発の膨大なエネルギーにより、
更に重い元素である、チタン、マンガン、クロム、ニッケル、亜鉛、金、銀、
鉛、ウランなどが生成しました。

これらが星間物質となって、次世代の星の組成は、重い元素の比率が増えてい
きます。 こうした壮大な胎動の中で、我々が住む地球の組成ができ上がり、
その中で生命の誕生、人類への進化があったわけです。

私たちの体は、この結果として生れたミクロの元素で成り立っているにしか
過ぎません。 つまり、私たちの最後は二酸化炭素と水と僅かな元素が
灰として残るだけです。

ところで、私は化学を仕事としている人間ですが、その基本が元素の周期律表
です。 実は、環境計量士の試験でも、これに関する問題が必ず一問出される
ため、少し暗記をしたものです。

元素をその原子番号の順に並べた表で、宇宙誕生の歴史が刻まれた証( あかし )
と云えるものだと思います。 これは、ロシアの科学者メンデレーエフによって
発見され、未発見の元素の存在を予言し、後に明らかにされました。
ただ、この表はまだ完成しておらず、少し空欄があります。

ところで、この表の初めに登場するのが、原子番号1の水素と、2のヘリウムで
“ 宇宙最初の3分間 ”に生れた元素です。 そして、太陽は、核融合反応により、
この水素がヘリウムになることによって、何と水素1グラムにつき約20トンの
石炭が燃えたのと同じ莫大なエネルギーが生み出されるとのことです。

いずれにしても、私がここで言いたいことは、このように、私たちの存在は宇宙の
中ではあまりに“ チッポケ ”であるということ、そして同時に私たちの体の中には
その宇宙の源( みなもと )が存在しているということです。 

ところで、私はユニセフの「 マンスリーサポート・プログラム 」に参加し、僅か
なお金を、毎月募金しており、今回会報をいただきました。
「 エイズに感染する子供たち 」、「 地雷の犠牲になる子供たち 」、「 セックス・
ツーリズムの危険にさらされている子供たち 」などの実態を知るにつけ、宇宙の
深淵に想いを馳せ、もうこのような醜い現状に終止符を打って欲しいと思います。

いずれにしても、気の遠くなるような遥かな未来に、宇宙は再び一点に集まり、
その時にはすべての元素は素粒子へと崩壊してしまうのでしょうから・・・・
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至誠の心
2007-05-21 Mon 19:27
オーロラ

実は昨日、母からこのような依頼を受けました。
“ 久和君が、アラスカで大変なことになっている。 その詳細が「 アラスカ
の風 」というブログに載っているようだから、調べてみて・・・ ” 
早速、調べたところ確かに大変なことになっていることが分かりました。

久和君とは、「 岩崎久和 」、アラスカの日本領事館の現地採用職員で、私のいとこ
に当たります。 彼がパワー・ハラスメント、つまり領事による職場の同僚に対する
陰湿ないじめと外務省の対応に抗議し、辞表を提出したとのことなのです。
詳細を知りたい方は「 アラスカの風 」をご覧下さい。 そして、私はこのブログを
読んで、改めて彼が非常に正義感の強い人間であることを認識し、感動をし、この
ような人間を親戚に持ったこと、いや同じ国民であることに誇りを感じた次第です。

彼は、アラスカという慣れない異国の地で戸惑う多くの日本人に対し親身に対応し、
大きな信頼を得ているようです。 このため、アラスカの日本人たちは、彼を再雇用
するために立ち上がりました。 私は、彼の人間性を知るにつれ、ビザを発給し、
多くのユダヤ人の命を救った外交官 杉原千畝を思い起こさずにはおられません。
そして、領事を筆頭に、外務省の“お役人”に対し、憤(いきどお)りを禁じえない
のです。

彼と私はいとこ同士ですが、彼は生れも育ちも東京、私は北海道ということで、
離れた存在でした。 しかし、その彼が中学を卒業してから、しだいに距離を縮め
始めました。 高校が函館、大学が釧路というように、次第に北へ北へと向かい、
最後にアラスカに辿り着いたのです。

子供の頃の彼は、小柄でとても素直で可愛らしかった印象です。
その彼が、中学校では柔道に打ち込み、次第に逞しくなっていったようです。
そして、彼にとって東京という街はとても居心地が悪かったようで、天地を求め
北海道へ旅立ちました。 そして、さらに北海道からアラスカへと渡り、ようやく
安住の地を得たのです。 ある意味、彼は変わり者であったかもしれません、
しかし今回はからずも彼から、内なる良心“ 至誠の心 ”に従い生きることの
美しさを教わりました。

私は、これから外務省の意見箱に書き込みをしようと考えています。
また、下記に「 アラスカの風 」から、彼が書いた“ フェアバンクス在住のNさん
宛てのメール ”を紹介します。 かなり長文ですが、正直感銘を受けました・・・

N 様 ( 岩崎久和 )

昨日は長い時間お電話におつきあいくださってありがとうございました。
Nさんのひとことひとことが胸の奥まで響き、こんなに気遣っていただいて、
励ましていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。

19年前、初めての海外旅行先のフェアバンクスで一人途方に暮れていた私に
声をかけてくださったNさんの優しさを、またこうやって自分の節目となるときに
たくさんいただいて、先日Nさんが電話で、「 神様は見ているんだよ、きっと。 」
とおっしゃってくださいましたが、私にとってのその「 神様 」とは、「 Nさん 」
のことなのです。

いつもご無沙汰ばかりしていますのに、Nさんに声をかけていただきたいとき、
Nさんの声を必要にするときはいつもそうしてくださって、本当にありがとうご
ざいます。 そしてフェアバンクスのたくさんの皆様からも応援していただいて
いることを伺い、どうやってお礼の気持ちを表現して良いのかわかりません。
なんだか最近感激することがとても多くなりました。自分がなんて幸せ者なん
だろうと思います。

幸せ者といえばこれまでに経験した仕事もそうでした。 どの職についても結果
的にそれぞれを好きになり夢中になることがことができました。 そう思うこと
のできる性格を与えてくれた親にも感謝したい気持ちです。 人々と接する仕事、
物を相手にする仕事、それ以外の仕事などいろいろとありましたが、気がつくと
何をやっても没頭している自分がありました。

領事館に勤めることになったのは偶然のことでしたが、以後18年間、本当に
たくさんの方々に支えられこれまで何とか続けてくることができました。
自分に何が求められ、そして自分をどのように用いることがより多くの貢献に
つながるかを、独学で模索しながらの年月でした。 領事館の窓口はどちらか
というと「 受け身 」の存在ですが、海外にある日本の「 顔 」のひとつとして、
いつどのようなことが起きるかわかりませんので、かなり緊張の連続でした。

小さい事務所で先輩と呼んで頼れる人もなかなかおらず、実のところこれまで
余裕を感じたことは少ないのです。 ちょうど水鳥が水面下では足を一生懸命
ばたつかせているのにも似た心境でした。 しかし前述の通り、私にとって、
その窓口を通じて本当にたくさんの方々と接するチャンスがあったことが、
この仕事を続けてくることができた最大の理由です。

領事館での仕事を通じて数え切れない程の思い出がありますが、その中で
とても印象的で少し変わった出来事がありました。 どう変わっているかというと、
実は私は最後まで何も知らずに、実際には何もしなかった出来事だからです。

随分前のある日、日本人の方がご来館され、領事館へ感謝の気持ちをお伝え
になりたいとおっしゃいました。 お話を伺ってみると、その方は、「 昨年、自分
の手に負えないようなことが起きてしまい、大変つらい思いをしました。
何度も、領事館に駆け込んで助けてもらおうかと考えたのですが、その都度、
もう少しだけ、あと少しだけ、自分の力で頑張ってみようと、踏みとどまりました。
それを何度も繰り返しているうちに、最後には何とか自力でその問題を解決する
ことができたのです。 いまこのことを思い返すと、つくづく領事館が近くにあ
ってくれて有り難く、見えないところで、精神的に助けてもらっていたことを感
じます。 なぜなら、自分が最後まで頑張ることができたのは、もし本当に自分
だけではだめになってしまったら、きっと、領事館が助けてくれるだろうと信じ
ていたからなんです。 もし、そういう安心感や心の支えがなかったらならば、
一人では絶対心細くて乗り切れなかったと思います。 」と、ご事情を説明して
くださいました。

私はこの方によって、私の仕事の本質を教えていただいたような気持ちでした。
役所として建物や事務所が存在し、必要な手続きを行うだけであれば、いずれ
将来優秀な自動販売機のようなものができれば済んでしまうようになるでしょう。
しかし領事館の真の存在意義は、領事館がそこにあること、そこにあってよかっ
たと感じていただくことなのだと思いました。 たとえ普段は忘れていて何だか
漠然としたものであっても、領事館の存在がほんの少しでも安心感の役に立つ
ことができるならば、そこから思いも寄らぬ力が生じる可能性があることを知り
ました。

そして私はこの方からそこまで信じていただいていたということを忘れまいと
思うとともに、改めて自分の責任の重大さを感じました。 信じていただくと
いうことはなかなか短い時間でできあがるものではなく、ひとつひとつの積み
重ね以外に近道はないこともわかっていました。 領事館には、何だかんだと
堅いルールがたくさんありますが、究極的には全てが人と人とにかかわること
ですから、常に「 至誠 」の心を最重要に考えるよう心がけました。

「 至誠 」という言葉は領事館の仕事を通じて学んだ言葉です。 あるときある
方より、戦前戦中旧日本海軍兵学校で拝誦・黙唱されていた「 海軍五省 」につ
いてのお問い合わせがありました。 調べてみるとこれは、一日の終わりにその
日を反省し自問する言葉であったことがわかりました。 全部で5つあるのです
がその一番目の言葉が、「 至誠( シセイ )に悖( モト )るなかりしか 」という
ものでした。 私なりに意味を読みとると、「 ( 自分の )誠実な心に背くことが
無かったか? 」という自問です。

それまで心で感じていたことがくっきりとした言葉になったような気がしました。
それ以後、一人一人、一つ一つの出来事の最初と最後に、自分の「 至誠 」の心
に正直であったかどうかを自然に自問するようになりました。 そして「 至誠」
の心にいちいち大小強弱の順位をつけたりせず、その数や量を考えたりせず、
ただ単に「 至誠 」の心に背いていないとわかればそれで良く、それを一つず
つずっと続けていけば良いのだと言い聞かせていました。

私は領事館へ3月末日付けの辞表を提出しました。 この辞表提出は予定して
いたわけではありませんでした。 しかし私は、仕事を通じ自分の「 至誠 」の
心を貫くことができなくなれば、いつでも領事館を去る覚悟を持ち続けるよう
自分に言い聞かせてきましたので、これまで十数年の領事館勤務では、常に
辞表を持ち歩いているような気持ちで過ごしてきました。 振り返ってみると、
役所としての一種の常識( 実社会では往々にして非常識 )のようなものと、
自分の「 至誠 」の心とがかみ合わずにずれを生じたときがこの仕事を続ける
上で最もつらかったことかもしれません。 ( 勿論全体ではつらい経験よりも
ポジティブな経験のほうが圧倒的に多くありました。 )
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