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心の命ずるままに
坂本九思い出記念館
2007-09-29 Sat 20:12
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坂本九は亡くなる2週間前に、テレビの福祉番組 「 ふれあい広場サンデー九 」
の仕事で北海道夕張郡栗山町の知的障害者施設「 栗山ハロー学園 」を訪ね、
学園の人びとや地元の人びとと交流を深めました。 このとき帰ろうとした九ちゃ
んに、ダウン症の女の子が「 帰らないで 」と泣いてすがったといいます。
そして、この地に平成5年9月、「 坂本九思い出記念館 」はつくられたのです。

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この「 坂本九思い出記念館 」は札幌から高速道路を使うと車で1時間程で行
くことができ、今日訪問してきました。 田舎の自然の中にあるその建物は、
“ 九字の門、九角形のシンボルタワー、同じく九角形のショーケースをはじめ、
何から何まで九にこだわった ” ユニークなつくりになっています。
また、寄付金を出した建設協力者の数も999名であったということで、その方々
の名前を書いた木札も廊下の壁に掛けられていました。

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そして、中に入ると、ボランティアの方が受付をしており、入場料は無料なのです
が、募金箱が備え付けられており、僅かな心付けを入れました。

その受付の上には、「 幸せなら手を叩こう 」の歌詞と「 上をむいて歩こう 」の文字
があり、入り口正面には彼の笑顔の写真が迎えてくれます。 そして、彼の歌声が
常に流れており、遺品、写真、友人の言葉などなどが、所狭しと飾られていました。

売店には、来訪者の記帳ノートがあり、それぞれの想いが書き込まれていました。
何故ここに来たのか、あの笑顔、声、歌、など懐かしい彼に会うことが出来るから
でしょうか。 本当に素朴で温かな展示であり、雰囲気でありました。

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 ONE step to 9 ( ハローENJOY総合施設長 橘文也 )

昭和51年10月、STVは民放唯一の福祉レギュラー番組 「 ふれあい広場サン
デー九 」( 毎週 日曜日 午前9時~9時30分 )が企画されました。 番組ホス
トはSTVのチャリティーショーを10年間協力してくれていた過去のいきさつから、
「この人以外に居ない!」ということで九ちゃんに決定しました。

サンデー九は施設を含む福祉現場探訪をはじめ心身障がい者の自立問題、 医
療問題、老人の生きがい対策等福祉全般にテーマを求めて 9年間462回続い
て昭和60年8月12日、九ちゃんの事故によって終了いたしました。

この間九ちゃんは、取材、収録等で北海道全般を回り、結果として最後の来道と
なり訪問した地に栗山町がありました。 その栗山町に、平成4年、生前関わりの
あった私が障害者施設「 ハロー学園 」を建設したのを機に栗山の人々の間に記
念館建設の機運が高まり多くの人達の協力金で、九ちゃんが番組を通して北海
道に残した福祉啓発の足跡を忘れることなく、いつまでも語り継いで行く場として、
記念館が建設されました。

そこでは、ハローENJOY ( 旧ハロー学園 )の利用者達が受付、清掃、売店など
を受け持ち、記念館を守っています。 有名タレントの観光客相手の記念館という
スタイルではなく、九ちゃんが見てきた、触れ合って来た各地の福祉現場を一人
でも多くの方に立ち寄っていただきたいとの願いのもと日々運営しております。
売店の商品は障がい者施設で作られた品を販売しております。

    「 坂本九思い出記念館 」
    〒068-0352 北海道夕張郡栗山町大井分256-21
    電話 01237-6-3939 FAX 01237-6-3764
    開館時間10:00~17:00/休館日毎週月曜日
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別窓 | 坂本九 | コメント:2
犬の散歩
2007-09-24 Mon 12:11
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最高気温が20度そこそこで札幌はすっかり涼しくなりました。
これから、短い秋が足早に通り過ぎ、長い冬の季節を迎えることでしょう。

北国の人間としては、一抹の寂しさはありますが、犬にとっては、これまで
の過酷な季節から解放され、これから快適な環境となっていきます。

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ところで、愛犬の散歩は、基本的に朝夕各1回と、寝る前に短時間ですが1回
です。 そして、ウィークデーは妻と分担していますが、休日はすべて私が行っ
ています。 

休日の朝は、早朝の6時頃には起きているため、まだ肌寒い空気は、凛として
すがすがしく、そのなか近くの緑地の林の中を散策します。

このときは、まだ人もいないので放しますが、忙しそうに嗅ぎ回り、匂い付け
をしています。 いかにも真面目で真剣そうなその行為を見ていると、何かと
ても可笑しくなります。

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別窓 | 愛犬&動物たち | コメント:6
ガラスのコップ
2007-09-21 Fri 21:36
遠藤すべて

前述( 15日 )した遠藤周作氏のご子息、龍之介さんの追悼文も下のお二人の
思い出話も、“ 遠藤周作氏に捧ぐ ”とサブタイトルされた「 遠藤周作のすべて 」
からの抜粋です。

氏が73歳の若さで亡くなったのが、1996年9月29日ですから、もう少しで11
年目の命日をむかえようとしています。

10年一昔以前の出来事で、遥かな記憶ですが、未だに氏の残された作品は多
くの人に愛され続けています。 そして、その人となりは、近しい友人が残された
文章から眼前に彷彿( ほうふつ )とし、今再び、懐かしく読み返しているところで
す。

隙を見ては人の手から滑り落ち、壊れようとするガラスのコップ、その儚( はか
な )さが「 人 」だとすると、氏は“ 背( そむ )いても母のように赦( ゆる )してく
れるやさしい愛 ”を神に求めたようです。

そして、私の求めるものも、その優しさに根ざした“ 笑顔とその声 ”ですが、
現実にはすすり泣く声が聞こえてきます。

おもろうて、やがて悲しき ( 佐藤愛子、1996年 )

6年前、私の娘の結婚が決まり、その披露宴での祝辞を私は遠藤さんに頼んだ。
「 よっしや、してやるよ 」 と遠藤さんは引き受けてくれたが、「 スピーチに松、竹、
梅と3段階ありますがね? どれにしますか? 」 と早速ふざけた。

結婚披露宴というのは総じて退屈なもので、その退屈の原因は来賓のスピーチ
にあると私はかねがね思っていた。 娘の嫁ぎ先は実業畑の真面目で常識的な
人たちが揃っているから、祝辞は自然真面目でしかも長々しいものになった。
宴席に料理が運ばれ、それを食べながらスピーチを聞くのであるから、あまり長
いと皿の音やら私語やらでザワザワしてくる。

そこで私は末席からメインテーブルの遠藤さんにメッセージを送った。
―― つまらんから面白うしてちょうだい。
すると遠藤さんから返事がきた。
―― ナンボ出す?
そのうち遠藤さんの祝辞の番がきて、遠藤さんはマイクの前に立った。
そしていきなり大声で叫んだ。

「 みんな、メシを食ってはいかん! 」 一座はびっくりしてシーンとなる。
その途端に傍らのテーブルから北杜夫さんがいった。
「 酒は? 」  「 酒は飲んでよろしい・・・・ 」 
わーっと笑い声が上がって私は俄然嬉しくなった。

「 小説を書く人間はみな、おかしな人であります 」
遠藤さんのスピーチはそんなふうに始まった。
「 ここにいる北杜夫もおかしいし、河野多恵子さんも中山あい子さんもみなおか
しい。 その中でも一番おかしいのは今日の花嫁の母、佐藤愛子さんであります。
杉山さん( 婿さんの姓 )、これからこの人をお母さんと呼ぶのは大変ですぞ 」 
人が笑う。 しかし遠藤さんはニコリともせずにつづけた。

「 私は昔、中学生であった頃、電車でよく会う女学生であった佐藤愛子に憧れ、
何とかして彼女の関心を惹こうとして、電車の吊り革にぶら下がって猿の真似
をしました。 そうしてバカにされたのであります・・・・ 」
例によって例のごときデタラメである。

「 今思うと私は何というオロカ者であったか、あんな猿の真似をしたりしなけれ
ば、今日はこの披露宴の父親の席に坐っていたと思いますが・・・・ 」
爆笑の中で遠藤さんはいった。 「 最後に私から花婿にお願いがあります。
どうか佐藤愛子さんを、この厄介な人をよろしくお頼みします・・・・ 」

普通ならばこういう時は 「 愛子さんの大事な一人娘をよろしく 」というところだ。
おふくろをよろしく、というのは聞いたことがない。
私はジーンときた。 遠藤さんはやっぱり私のことを心配してくれていたのだ。
それがはっきりわかった。

だがその後、遠藤さんは手洗いに立ち、末席の私の傍らを通りながら、
「 おい、七千円やぞ、七千円・・・・ 」 といって出ていった。
ジーンときていた私は忽ち我に返って、 「 七千円は高い・・・・ 」
と早速いい返したのであった。

遠藤さんは驚くほど沢山の友達を持っている人だった。 文学関係、出版関係、
宗教関係、医療界、音楽界、実業界。 その多くの友人の中で私は遠藤さんに
は何の役にも立たない、端っこの友人に過ぎなかった。 あえていうならば私は
遠藤さんの「 気晴らしの友 」 「 珍奇な友 」 だった。

遠藤さんが亡くなった後、私は色んな人から慰めの便りや電話を貰った。
その度に私はいった。 「 ふざけているだけの相手のようだったけれど、私は頼
りにしていました。 がっかりしました・・・・ 」

だがこの「 頼り 」というのは相談に乗ってもらったり、激励してもらうことではな
かった。 私の失敗を大笑いしてもらうことだった。 これからはどんな失敗も、
もう一人で背負うしかない。
「 遠藤さん、いろいろ有難う 」 というよりも
「 遠藤さん、どうしてくれる・・・・ 困るやないの・・・・ 」
としか私にはいえない。

ガラスのコップ装丁余話 ( 丹阿弥丹波子 )

青山で個展をした折のこと、来観者の方々の波が引き潮のように途絶えた時、
私は一つの絵の前に、じっと動かない大きな黒い背中を見付けていました。

やがてその人はむっくりと背中を動かすと、私の方へは振り向かず
「 このコップ、ガラスのコップが壊れている・・・・ 」と呟きを残して会場から出
て行かれました。 

遠藤周作さんだと気付きながら私は声を掛けませんでした。 私はその呟きを
「 何で壊れたコップなんかを描いたの? 」と訊かれた様な気になって、ガラス
のコップとは何なんだろう、何が壊れたコップなのかしら、と改めて自問し始め
ていました。

人はコップを大事に扱います。 それなのにコップは隙を見ては人の手から滑
り落ち、壊れようとします。 人が慌てて壊れたコップに手を差し出すと、ガラス
のコップは人の手を傷つけてまで人の手に帰ることを拒否します。

千々に砕け、きらきら耀いているガラスのコップを見ていると、その光の中に、
自分本来に還( かえ )れた安堵のようなものを感じるのです。
人の役に立たなくなったことで、やっと自分本来に立ち還れたことに気付いて
いるような安堵感。

だから人は大切に、畏( おそ )れながら、束の間なりともコップに酒を注ぎ、
水を入れ、うがいをし、花を生けるのです。 ガラスのコップこそ、儚( はかな )
い「 人 」そのものなのかも知れません。

晩年、文藝春秋から出された遠藤周作さんのご本の装丁には、私の黒に白の
ガラスのコップの絵 ―― 咲いている花の器だったり、枯れているものと一緒
だったり、―― をお使いになりました。

担当の高橋一清さんのお話によりますと遠藤さんのご希望とのことで、私が考
えていたような同じことを、お二人で語り合われたと伺いました。

個展を開いても、再び、あの黒い大きな背中を見ることは、無いのです・・・・
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別窓 | 北杜夫&遠藤周作&佐藤愛子 | コメント:0
生きる喜び絵筆にこめて
2007-09-17 Mon 19:15
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今日、「 生きる喜び絵筆にこめて 阿部俊明詩画展 」を観にいきました。
交通事故で四肢( 両手、両足 )が完全に使えなくなるというハンディキャップを
背負った中で、口にくわえた筆だけで、その想いを細密画と詩に託した作品の数々
( 60点 )、これを間近で拝見するとその絵の緻密さと味のある言葉の組み合わ
せは見事であり、正直驚嘆いたしました。

まったく、素人からこれまでになるには、試行錯誤の連続で、奥様ともども想像を
超えるご苦労があったと思いますし、現在も体調維持等大変なご努力でしょう。

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これからも、無理をせず素敵な作品を生み出していってください。 心から応援を
します。 なお、明後日(19日)まで、札幌東急百貨店で開催されていますので
皆さんも是非ご覧ください。

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ごあいさつ( 阿部俊明 )

早いもので9月も中になり昨年の詩画展からあっと云う間のこの一年間でした。
この夏は涼しく省エネで・・・と軽い気持でいましたが
その後の連日の暑さに筆もくわえず ベッドに横になる日が続いていました。

皆様お元気で無事この夏を乗り越えられましたでしょうか お伺い申し上げます
昨年に引き続き ここ東急百貨店様での詩画展も第7回目を開催させて戴ける
事となり大変有り難く感謝申し上げているところです

今年は例年になく体のこわばりも強く腕も硬くかたまり なかなか仕事に集中す
る事が出きず自分では納得のいく仕事が出きなかったのが少し心残りではあり
ますが そんな中 新作の絵ハガキ第五集と来年用カレンダーの製作が出きた
事を嬉しく思っています

一年とも云えず体の様子にも変化が有り辛く 世話をしてくれる家内も体力的に
きつくなってきますので あまり欲張りはしないで 自分達なりの生活を楽しみな
がら 無理をせず一枚でも多く納得のいく仕事が出きたらと思っています。

今後共 皆様におかれましても体調に充分留意され 更に交流を深め良い作品を
見て戴きたいと考えております。 又次回皆様方とお元気でお逢い出きます事を
願って本日のお礼とさせて戴きます。 有りがとうございました。

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 プロフィール

 1948年  1月  北海道標津郡中標津町当幌に生まれる
 1981年  4月  中標津町で鮮魚店を開店
 1995年  4月  交通事故により「 頸髄損傷四肢全廃 」と診断される
 1996年 11月  1年8ヶ月の入院生活後在宅復帰
 1997年  2月  筆をくわえて絵を描き始める
 2002年  9月  北海道出版社より詩画集第1集出版
 2006年  4月  札幌に転居

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